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踊りざんまい、寿司ざんまい!

 


はなうたを歌いたい気分です。

 

今日はオドリノタネからダンス幼稚園に行ってきたよ。

 

オドリノタネは、うごきまねっこ大会でした。

 

子どもたちの動きのまねっこをしたのだけど、なかなか大変!

 

歩くのはまだしも、四つんばい、ほふく前進となるとなかなか。

 

四つんばいは身体が硬くて思ったように伸びなかったり、筋肉がプルプルして思うようにポーズをキープ出来なかったよう。

 

子どもたちは軽々とやってしまうから見逃しがちだけど、身体のいろんなところを柔らかく使っているんだなあ、すごいパワーだなあと思っちゃいました。

 

なんで大人になっちゃうと出来なくなっちゃうのかなあ・・・不思議だなあってとも思ったのでした。

 

 

午後からはダンス幼稚園。


すんぷちょもなんとか間に合ったし、前から見たかったアロムライナーさんを観れたりしてよかったなあ。

 

はじめて行ったけれど、ひとりでも楽しめました!

 

朝からまさに踊り三昧な日なのでした。

 

 

アメリカの銃乱射事件で思うこと

 


かなしいです。

 

アメリカの銃乱射事件のこと。

 

殺された家族のことを考えると、かける言葉がなくなってしまう。

 

きっと深い悲しみに明け暮れていることだろう。

 

私は、アメリカの銃社会の知識は全くといっていいほどないのだけど、そういった事件は頻度が多くなってきたなあという印象はもつ。

 

やはりイスラム国の影響が大きく、アメリカが標的にされやすいのかもしれない。

 

それで、こういうニュースを読むと犯人のことを異常者だ、という人がいるけどいつも違和感を感じざるをえない。

 

こんなことする可能性がある人なんて世の中にはゴロゴロいると思う。

 

なんでこんな事件を起こしてしまったのか、防ぐことはできなかったのか。

 

犯人に異常性のレッテルを貼って、今起きている社会の歪みに目をそらすなといいたい。

 

それに、犯人は兵器をつくる会社にいた?だからこんなことをした?

 

兵器をつくることは私は反対だけど、兵器を作ってる人たちを侮辱しているじゃないの、それ。

 

イスラム国に忠誠を誓った人が、たまたま兵器を作ってただけでしょう。

 

私はそう考えるけれど、どうなんだろうねえ。

 

争い、なくなってほしいよ。

 

悲しむ人が多くなるだけよ。

 

平和に生きたい。

 

 

久しぶりに読んだ本をすこし深く理解できたよ

 


ドキドキです。

 

久しぶりにユマニチュードの本を引っ張りだし、読み返してみたよ。


少し読むだけで、はじめて読んだ時には気付けなかったことがたくさん気づくことができた。

 

「優しく付き添っているだけでは、よいケアとはいえない」
「誰かをケアするときに中心にあるのは、その人やその人の病気でなく、わたしとその人の絆です」

 

本のところどころにでてくるイヴさんのコメントがユマニチュードの核心を分かりやすく説明してくれる。

 

それを読んでいくたびに、「あ、私はユマニチュードのこと、さっぱり理解してなかった」と痛感させられた。

 

まずひとつは、相手との関係をよくし、お互い気持ちよくケアするされることを目指す技術の本だと理解できなかったこと。

 

人の感想を読み、こういうもんだ、と上辺の知識で固定させていたこと。

 

私はこの技術がどういうものなのか本当に理解しきれてなかったと思う。

 

(今も理解しきれていないけれど、もっと理解してなかった)

 

その絆を深めるための手段として、「話す」「見る」「触れる」「立つ」の説明に入っていくのだ。

 

なるほどなるほど。

 

そして、理解してなかったからこそ、相手との関係をよくすることばかりに気を取られていた。

 

そのため、その先にある相手にあったケアのレベルを見極めることをしていなかったのである。

 

おそらくそれが一番大切なこと。

 

そして、その見極めが一番難しいのだ。

 

あー奥がいろいろと深いのね。

 

ますます分からなくなってきたけれど、やっと自分の言葉で理解できてうれしい。

 

今読み始めたばかり、もっと調べを深めるぞ。

 

 

 

生き方について考えてみる

 

 

生き方。

 

23歳となり、そろそろ現実がみえてくる25歳が近くなってきてるこのごろ。

 

こどもの頃は、オシャレで、社交的で、勉強ができてなんて自分の理想像を抱きつつ、こんな私のことだから苦しんでるのかな、と思っていた。

 

で、23歳。

 

どうだろう。

 

まず思うのは、まだまだ未熟だ、子どもだ、ということだ。

 

大人だと思ってたけれど、まだまだ子どもだし、まだまだ世界を知らない。

 

きっと素敵に年を重ねている人は、広い世界を知っている。

 

私は、それを知りたい。

 

色んなことを知りたい。

 

貪欲になりたい。

 

そのためには・・・こてんぱにも・・・なるしかないよねえ。

 

やっぱり好きなことを無視するってできない気がする。

 

私はこれがやりたいんだって気持ち。

 

きっと自己満足だけれど、それでいい。

 

根本的欲求は、自分のためだけれどそれでいいんじゃないかな。

 

だって自分ありきだもの。

 

二の次にまわりの人。

 

だからこそ、感謝しながら生きれるだろうし。

 

こう生きたいから挑戦する。

 

不安の中に飛び込む。

 

何もやらなくてもきっと私は不安だらけだ。

 

なら飛び込め、オレ。

 

 

あいづちをうつのが苦手なんだよね


あいづちをうつのがとても苦手。

 

興味があるようにうたなきゃ、興味があるようにうたなきゃ、と思ってるから話に興味がないとばれる。

 

なるべく話の内容に集中してるのだけど、緊張のためか元に戻ってしまう。

 

心を許した人はそんなんでもねえけども、この違いはなんなんだべね。

 

ただのコミュニケーション障害かしら?

 

それで片付くなら、経験でカバーできるかな。

 

解決策が、ほしい。

 

なんでそんな反応をしてしまうのか、どうしたら私の考えるコミュニケーションがとれるのか。

 

絶対、中高校生の時のクソみたいなコミュニケーションが今も引きづってるんだろうね。

 

この6年間地獄だったけれど、やっと前に進めてるから大丈夫大丈夫。

 

アホはアホらしく生きてればいいや、と思ってる。

 

ほら、言うじゃん。

 

2:6:2の法則。

 

2割の人は私を好いてくれてるのさ。

 

でも、このあいづちの下手さははよ直さなきゃ。

 

解決策を、ください。

 

 

私たちはまな板の上の鯉

 

 

どんなに大きくみせようと、

 

どんなに小さくみせようと、

 

私は私。

 

等身大なのだ。

 

舞台と同じように実生活でもいえるよね。

 

 

 

私のなかの共感脳が

 

 

最近、私がいかに共感脳かを思い知らされている。

 

分かってるけど、分かってるけど話題のひとつとして確認するじゃない。

 

分からないなんてなんてバカなの、おもしろい子だね!みたいな反応され、かなりイラッ。

 

なんやねん、なんやねん。

 

こんなシャッターが下りる感覚は久しぶりかもしれない。

 

どうした、私。